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特別コラム「生と死と」
人間は一日一日生を重ねる度、一人一人の死に触れる事となる。
勿論自分にも当てはまり、記憶に最も古い初めて触れた「死」は父方の祖父の死だ。

この祖父には本当に可愛がってもらった。
本家の長男(田舎だと良く使う言い回し)だったせいもあるかと思うが、一番大きな理由は「内孫」だったからだと思う。

他の孫には厳しくて、騒ぐとキセルで引っ叩く様な人だったが、俺だけは特権的に自分の膝の上に座らせてくれた。手を上げられた事は一度もない。


まあ、犬でも猫でも人間でも可愛がってくれる人に懐くのは道理で、俺も例外ではなく凄く懐いたと思う。
祖父が肺を患い入退院を繰り返すようになっても、隣街の病院までバスに乗って面会に良く行ったものだ。



祖父が死んだ日の事は鮮明に覚えてる。
小学五年の夏休みを迎える数日前、トイレの掃除当番だった俺は、サボって学校を帰ろうとした。

途中、担任に見付かって、思い切り横面を引っ叩かれ、「お前一人でやれ!!」と怒鳴られた。
(死ね、バカ担任…)痛む頬を擦り、心の中で毒づきながら掃除をしているとその僅か5分後

「掃除は良いからすぐに帰りなさい。正面玄関に迎えの車が来てるから」と、まるで違う調子で担任に言われ、不信がりながらも(ラッキー)と思った。


正面玄関を出ると叔父の車が停まっていて乗り込むと、「お祖父ちゃんが危篤なんだ。このまま病院に向かうから」と言われた。
「危篤」耳慣れない言葉だったが、祖父の具合いが芳しくない事だけは理解出来た。

ただ車中、久々に会う仲の良かった従姉妹(祖父にキセルで叩かれた組)と、お土産のケンタッキーフライドチキンのポテトフライが嬉しくてはしゃいだのを覚えている。

余談だが、当時はメチャメチ田舎に住んでたので、最短のケンタッキーまでの片道の距離が100km先だったのだ。


車中、同い年の従姉妹とぺちゃくちゃ喋り、ポテトをパクパク方張りながらも
「危篤」という耳慣れない単語を少し不吉な気持で反芻していた。



病院に着き祖父の部屋に行くと、人工呼吸器を装着し意識のない祖父がいた。
そしてこの時初めて「危篤」の意味を知った。


帰り道、泣いている顔を従姉妹に見られたくなくて、うつ向いて声を殺していると
「男だって本当に悲しい時は泣いていいんだぞ?」とバラチンの紳介みたいなセリフを叔父に言われ、初めて声を出して泣いた。


この時うつ向いていたもんだから、家に着いた頃には完全に車酔い、ただ「泣く」と「吐く」と言う行為が連動しなくて

車を降りた瞬間に歯を食い縛り泣きながら吐いたもんだから、ゲロが鼻に行っていまい
鼻からポテトサラダになって出てきたのでメチャメチャ痛かった。



そしてそれから間もなく、祖父が病院から無言の帰宅をした。
「これを片付けなさい」と自分の漫画か何か手渡され、部屋に置きに行ったが、あまりの悲しさにトイレに入って泣いていた。

声を出して泣いていると急に催し、泣きながらオシッコした。
泣き声の強弱で、オシッコの飛び具合いが違うと言うのもこの時知った。


この時の俺の泣き声が余りにも大きかったらしく(本人は意識してない)、これは祖父の葬儀後の話だが、近所の人が「やっぱり犬(うちが飼っていた)もお爺ちゃんが死んだの分かるのかねぇ」と

俺の泣き声を犬の遠吠えだと勘違いしてたくらい大きかったようだ。



後これは皆引く話かもだが、祖父が焼かれるまでの間、俺は祖父と一緒に寝た。
同じ部屋とかではなく、同じ布団で…

俺も多少エキセントリックな所があったのだろうか、他の人は「そんなに想われてお爺ちゃん喜んでいるよ」とか「見上げたお孫さんだ」とか言ってくれたが、多分気持悪いと思ってたと思う。
逆の立場なら俺だって「この子、少しアレかも…」と思うはずだ。



まあ、そのくらい祖父が大好きだったと言う話。


葬式後も49日の法要が済むまで、毎日線香を上げ経本を読んで唱えていた。

だからあれよ?その副産物に今でもお経覚えてるもの。
「いっしんちょうらいまんとくえんまんしゃかにょらいしんじしゃりほっしんとうばがーとうらいきょういがげんしんにゅーがーがーにゅーぶつがじこがーしょうぼだいいぶつじんりきりゃくしゅうじょうほつぼだいしんしゅうぼうさつぎょうどうにゅうえんじゃくびょうどうだいちこんじょーちょうらい」



では誰が死んでもこんなに思い詰めるかというとそんな事はない。


16歳の時に父が他界した時は、もっとこう…我が身の心配しかしなかったし

虐待された訳じゃないけど、あまり可愛がられた記憶のない祖母の死の時は
「わ、老婆の死体だ!!」って思ったもの。




まあ、何が言いたいかと言うと
生と死は相反する物ではなく、常にお互いを内包する関係であるんだよ
人は死んでも「想い」は死なないんだよ

みたいな事を言いたかった訳だけど、いつもの調子になったんだバカ。



ごほん
なつみの御祖母さんのご冥福を祈ります。合掌。




余談だが、祖父はコケシ職人だった。
俺はその才能も職人の魂みたいなものを引き繋がなかったが

女性の前でやると確実にセクハラに、オッサン連中の間でやると拍手喝采を浴びる


「熊ンコ」という、バイブレーターの鉄板モノマネを持っている。

ごめん、お祖父ちゃん…
by Hawk_Yamada | 2010-02-23 00:45